どうぞ、おかまいなく

アニメとゲームと美味しいモノが好きなオタクの雑記。たいしたことは書いてません。肩の力を抜いて、ついでに見てください。

奇跡の続きを見に行った話


◎はじめに

 

 これから書く内容は『ラブライブ!サンシャイン!!劇場版』のネタバレ要素をかなり含みます。

そしてあくまでも私の個人的な感想であり、勝手に受け取った解釈です。

 

 今回の劇場版では多くのメッセージが詰まっていて、受け取り方の多様性による部分が大きい話であると感じています。

これと真逆だったり、理解できない部分が多い方もいらっしゃるかと思いますが、その方たちの考えを否定するつもりも全くありません。

 

 「人には人それぞれの考え方がある」それを踏まえたうえで、軽い気持ちで見てもらえると幸いです。

 

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◎第一印象

 

 この映画の初見での感想は《難しい》でした。

 

 冒頭の『僕らの歩いてきた道は…』から始まり、沼津の景色どころか人までそのまま詰まっている映像は、彼女たちキャラクターが確かにそこに生きているのだと感じさせる部分が溢れていて、想いが涙となって溢れました。

 

 しかし、そのあとの物語の最初の導入はハテナマークが頭を巡り、個人的にツッコミどころが満載でした。

 

 統廃合になって統合先の新しい学校の方がオンボロな点や、分校だというのもおかしいですし、新キャラクターの渡辺月ちゃんが新しい学校の話の部分だけでなく、突然海岸に現れたり、何故かイタリアまでついてきてるのには「お前もいるのかよ」と言いたくなったし、よしんばAqoursに加入しますとか言い出すんじゃないかとか思ってしまいました。イタリアの話も今回の舞台はと言っていた割にはあっさりと終わって、鞠莉ママを説得する話も納得するの早いな!?というのが正直に感じた感想です。

 

 いい意味でも悪い意味でも、結末が見えてこないというか、少しとっ散らかしすぎじゃないか?というような印象で、展開も早かったです。

 

 ですが最後まで見終わった時点では、そういった揚げ足を取るような皮肉屋な部分は消えていて、比較的スッキリとした気分でした。

 

 スッキリした理由の一つは不安が消えたこと。

 この映画の結末にはどんな現実が待っているんだろうというのはかつてのμ’sロスがあったからこその不安でした。これまでキャストの皆さんがAqoursは続くとはっきりと明言していて、信じている気持ちはありながらも、続き方がどうなるのか、それは少し寂しいものになるのではないか、という不安が拭いきれませんでした。だからこそ安堵感から来るスッキリ感と、Aqoursがこれからもまだまだ続くよという形は割とすんなり理解出来た気がします。

 

 もう一つ。こっちが問題。ストーリーとして風呂敷を広げ過ぎたという印象について。

 全体のテーマやメッセージ性の落としどころや、自分の中で「言いたかった事はきっとこれだ!」という結論が出てこない。でも皮肉屋な自分は消えていて、なんだかまとまった気はするのだけれども、それがなんなのかは靄がかかったように掴めない。

 

 何かを受け取ったような、感じ取ったような気持ちはあるのに、その想いを言葉に出来ない感覚。そういったものが自分の中で渦巻いて、別のモヤモヤを作り出していました。

 

これが一回目に映画を見た後の心境であり、正直言って

 

「よく分からなかった」

 

というのが率直な印象でした。

 

 

◎深読みしたがりオタクの忙しい脳内

 

しかし私には直後に2回目の鑑賞が控えています。

 

 

どういったメッセージ性が含まれているのだろうか。

 

自分たちはAqoursを通して、ラブライブ!を通して受け取ってきたものは何だろうか。

 

 曲解であろうこともわかっていますが、なにか考えたくなってしまうのは止められません。

 

そんな中、自分の中に一番スッと入ってきたのが

 

 

「スクールアイドルとファンのこれまで、今、そしてこれから」

 

というテーマです。

 

これが私の中で今現在、劇場版から受け取ったと感じているメッセージです。

 

 言わずもがな、この映画はAqoursの物語です。

今を代表するスクールアイドルであるAqoursが中心にいるからこそ出来る話であり、その対比を感じました。

 

 

◎困難が尽きないAqours

 

 今回も例によって、Aqoursには困難が立ちはだかります。

 

 新しい統廃合先に反対されていて、同じ学校を使わせてもらえなかったり、くだらないものと蔑まれて鞠莉ちゃんのお母さんにこれまでの活動を否定されたり。

 

 しかしこれは今までの入学希望者が集まらなかったり、統廃合が決定した時と比べると大きな壁のようには感じられませんでした。少し規模感が小さいんですよね。だからこそスケールとしては本来の女子高生という点に合致していたと思いますし、Aqoursや沼津という地域に根差した作品としては身の丈にあっているように思えました。

だからこそ壮大な世間や全世界に訴えかけたいテーマよりは、作品にとってもっと身近なファンに向けてのメッセージが込められているのかなと想像しました。

 

 そう考えると、これらはこれまでのラブライブ!シリーズのファンとの比喩と捉えています。

 

◎統合先の父兄と生徒たち

 

 彼らは得体の知れないものに、恐怖や不安を抱き、彼女たちを拒みます。

これは ”μ’sロス” に陥り、Aqoursを受け入れられないファンを感じさせました。

 

 私はμ’sが大好きで、μ’sロスの影響を思いっきり受けた人間であり、Aqoursの活動を素直に受け入れられませんでした。

今となっては、劇場版の初日に2回も映画館に足を運んだりこんな文を書くほどの熱を帯びていますが、当時は嫌いじゃないし反対するつもりはないけど、見る事が出来ない複雑な心境でなかなかそんな気になれませんでした。

 

「俺が好きなのはμ’sなんだ。俺の好きなラブライブAqoursじゃなくて、μ’sなんだ。」

「今まで積みあがってきた事がなくなってしまうんじゃないか」

「ここで新しいユニットに移行するなんてそんな簡単に動くことは、μ’sに対する反逆なのじゃないか」

 

 でも、それに対する意見はそのあと梨子ちゃんが口に出してくれます。

 

「そんなこと言ったら何も始まらないじゃない」

 

 この一言はなんだか特徴的で、一回目から結構引っかかってたんですけど、2回目に見たときにはしっくりきました。

 

 当時の私は今思えばそんなしょうもないことで立ち止まってたし、部活を頑張らなさそうみたいな謂れのない言いがかりのように、根も葉もないことで可能性を閉ざしていたんだと思います。

 

 更には生徒たちも父兄に反対して、「私たちも大丈夫って言ったんだけど・・・」っていう部分。どうにも歯切れが悪い感じが更に記憶を巻き戻します。

 

 先程書いたように、私は最初Aqoursが嫌いではないけどμ’sではないからという理由でラブライブ!の応援が出来ませんでした。当時は重大な問題で、何が理由かなんて目を向けることは出来なかったですけど、これってμ’sを理由にしてるだけで、自分がそれと向き合おうとしていなかったんですよね。

その部分が劇場版では生徒たちが父兄を説得しきれない部分として描かれていて、

 

「父兄が言ってるから私たちも受け入れたいけど受け入れられないんだよね」

 

というのは

 

Aqoursは嫌いじゃないけど、μ’sが…」

 

って自分自身に言い訳をしてた私たちに似た存在だなと感じてしまいました。

 

◎マリーズマザー

 

 鞠莉のお母さんは少し違います。こっちは今までの活動を知っている側、見てきたり比較的傍にいた側の人です。でも真似事やくだらないことと思って、あまり真剣に向き合ってこなかった。ですが、逃げ続けたAqoursも腹を括り、力を合わせて認めさせることに成功します。

これはAqoursの頑張りや努力で振り向かせた人たち、目を向けさせた人たち、認めさせた人たちという分かりやすい例えだったと思います。別コンテンツだったり、似たようなコンテンツから敬遠していた人たち、アニメなどのサブカルチャーに興味がなかった人たちという幅広い人たちを投影していました。

 

 3年生が抜けたAqours6人のパフォーマンスを見たときに、鹿角聖良は言います。

 

「優勝した時のAqoursが100とするならば、今の皆さんは20くらいですね。」

 

 残り6人のパフォーマンスが3年生に圧倒的に劣っていて、3年生が素晴らしかったグループという言い方ではありません。9人の力で優勝を果たしたAqoursが、次へと進もうとしているのに、そこに気持ちを引きずられているから歩き出せないのです。

 

 Aqoursだってこれまで憧れていた存在と比べたり、ファンが想像だにしないほどのプレッシャーと戦ってきました。それを一つずつ立ち向かい乗り越えてきたAqoursの強さが垣間見えました。

 

ここまでがこれまでのAqoursやこれまでのスクールアイドル。Aqoursを中心に起こってきた過去を描かれていました。

 

 

◎今を謳う歌

 

 次に流れるのが今回のメインテーマ曲のように使われている『HOP?STOP?NONSTOP!』

 

これは ”今” を表していました。

走り続けてきたAqoursと、今も輝き続けているAqours、そしてこれからも進み続け

 

「こんな楽しいことやめられない!」

 

という言葉がみんなの想いであり、今のAqoursとスクールアイドルを象徴していました。

 

このフレーズはかつての

 

「離れたりできるはずないんだよ」

 

というフレーズへの近いものを感じました。

 

彼女たちの今もまだそこにある…のかな?

 

 

◎未来への歩き方

 

 そしてここからがこれからの話。

メンバー達の気持ちもようやく収まり、さぁ新しい学校でも輝くために気合を入れなおす6人。

 

 とおもいきや今度はSaintSnowの理亞ちゃんがAqoursに加入するという話が発生します。ここでは見ている誰もが「ルビィちゃんが止めてくれる!」と期待したかと思います。全ラブライバーの想いを受け、次期部長の威光まで感じさせ始めたルビィちゃんが口を開きます。

 

「理亞ちゃんは絶対にそんなこと望んでいない」

 

 涙を流しながら走る理亞ちゃんは、個人的に一番涙を流した部分でもあります。

SaintSnowは決勝に行っても行かなくても、離れ離れになることが決まっていた。

限られた時間の中で輝く必要があった。だからこそ最後に流した涙は拭いきれない。

ましてや、かつて一緒に壁へ立ち向かった戦友は、決勝の舞台で更に成長を見せていく。

振り切れない自分が嫌だから、新しい仲間とも頑張ろうとするけども、どうにも上手くいかない。

 

 ここの理亞ちゃんには今でもAqoursを応援するのではなく、今でもμ’sへ想いを馳せ続けているファンを照らし合わせました。

周りは今のラブライブ!はすごいと言っていて、一緒に輪の中に入ればきっと楽しめると。

 

 でもそうじゃないんです。無理に好きになる必要も振り切る必要もないんです。

 

 聖良さんが伝えたかった想いは、そこに応えたものです。

今でもかつてのスクールアイドルを忘れられないあなた達も、忘れる必要も振り切る必要はない。

全てなくなってなんかいなくて、あなたの心の中に残り続けている。

かつて彼女達が

 

「解散じゃない」

 

と明言してくれたのだから。

 

架空ではあるけども夢の決勝を共に戦った二組は、それぞれ今できる最高のパフォーマンスを見せ、未来への歩き方を見出します。

 

 

◎新しいAqours

 

 物語は佳境へとさしかかり、最後のライブの準備に取り掛かります。

そこにあったステージは君の心は輝いているかい?を彷彿させるものでした。

つまり新たな門出であり、終わりではなくスタートを表現したものです。

 

 夢の決勝の舞台にて、あれだけ最後だと言っていた三年生の3人が、再び歌っていた姿。

 

 3人はいなくなってなんかいないくて、ファンやメンバーのみんなの心の中にいる。

これからも三年生を含めて9人でAqoursだと言っている様に思えて仕方がありませんでした。

そして、それはこれまでのスクールアイドルやこれからのスクールアイドルにも於けるメッセージだと思いました。

 

 リアルでのパフォーマンスにおけるこれからのAqoursは、東京ドーム公演での「想いよひとつになれ」に詰まっていたと思ってます。これまで実際にあった物を再現していたラブライブ!は、アニメで描かれていない、あったであろう未来を表現する、新たな2.5次元の境地に至りました。

 

 アニメの世界では卒業したけど、心に残り続けた3年生は、ファンのみんなの中に残っているよという事の具現化が、今後も現実で実際にパフォーマンスを披露していくという事だと受け取っています。

ここでやっと、キャストの皆さんがまだまだ続くし、やりたいことが沢山あると言い続ける所に繋がったと思っています。

 

これが「Next SPARKLING!!」Aqoursの新しい輝きです。

 

◎肝心なファンの形

 

 ここまで書いてきて、Aqoursと一緒に描かれている人たちがいろんな目線からラブライブ!という世界を見ているファンの方たちだと伝えてきました。でも見ている中で一番大部分を占めている人たちはどこにいるのか…。

それは今回の作品のキーパーソンである渡辺月ちゃんに他ならないと思います。

いろんな形でAqoursを支え続け、応援し続けた彼女こそがNo,10の化身であり、功労者であるファンの方々の姿です。

 

「こんな素晴らしいものを私たちしか知らないなんて勿体ない!」

 

というフレーズが声を大にして称え続け、応援し続けているファンのみんな言葉だと物語っていたと思います。

 

 

Over the rainbow

 

 今回描かれていたのは ”奇跡” ではなく ”軌跡”  です。

 

 スクールアイドルとして懸け橋となるAqoursラブライブ!シリーズの話であり、ファンを「繋ぐ」ストーリーだと感じました。

 

 アイドルとしての本質は継承されていき、それはAqoursが終わることなく持ち続けているし、μ’sにだって手放せるわけがないもので、いまだに持ち続けているし、これからを作っていく虹ヶ咲のメンバーや、まだ見ぬすべてのスクールアイドルにもつながっていく、スクールアイドルとそれを応援してくれるファンの為のストーリー。

 

これまで何度も消えた砂浜のAqoursの文字は消えませんでした。

永久に私達(ファンも含めた10人)の物というメッセージを残して。

 

 そこで話すファンは、Aqoursに入りたいとも、あの学校に入りたいとも言いません。スクールアイドルとしての輝きを純粋に羨ましがっていました。

それはこれまでもそしてこれからも、沼津を愛し、Aqoursを愛し、スクールアイドルを愛するファンの皆さんを表したものであり、感謝と敬愛のシルシだと思っています。

 

 沼津市の皆さんの全面協力の下に作られた今回の映画。

今を生き、今まさに多くの人に愛されているAqoursの為の物語。

沢山の人の想いと、愛に溢れたストーリーをひたすらに噛み締め、新たなファンへも繋げていきたいと思います。

 

 

◎最後に

 

 これだけの自己満足でしかない文を最後まで読んでいただきありがとうございます。

今この時の想いはどこかに留めておきたいと思い、このように書き記しました。

「こいつラブライブ!が大好きなんだな」くらいの事が伝わってくれると嬉しく思います。

 

 私はAqoursμ’sも大好きです。

 μ’sがあったからこそ今のAqoursがあると思っていますし、今のラブライブ!があります。ですが今のラブライブ!シリーズの盛り上がりやパフォーマンスのレベルは、紛れもなくAqoursの努力や頑張りがあったからこその賜物です。

 

 どちらかしか知らない方は、曲解過ぎると感じるでしょうし、不快な思いをさせていたら申し訳ありません。どちらも大好きで、どちらも重要と思っているからこそ、このように感じたのかもしれません。

 

 私自身、まだこの映画を2回しか見ていませんし、他の方の感想もほとんど見る事が出来ていません。

今後も何十回も見に行きますし、他の人と意見交換をしていく中でこの意見がくるりと変わることだってあるかと思います。

そんな時でも、こう思ったこともあったなぁと笑いながら、今後もラブライブ!シリーズを愛し、応援し続けたいと思います。

 

長文・駄文失礼致しました。

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